いつの頃だったからか忘れたが、特にインターネットの記事に多い「いまさら聞けない」の見出しが、ずっと気に障っている。知らない奴が上から目線で行う投稿である。
「いまさら聞けない」のいやらしさは、人の劣等感につけこんでいる点だ。下衆である。
広告のコピーでは「嫌でもなんでも、気に留められた方が勝ち」と言われている。なのでそんなコピーがついたものは理性を以って無視することにしている。
「いまさら聞けない」をインターネットの純粋な知識拡散を目的とした記事(そんなものがあるとして)の見出しに使う人は、記事の見出しと広告コピーの区別がついていないと思う。記事と広告は違う。たとえそれが何かの商品を販売するページだとしても、それは記事の見出しであり、広告のコピーではない。
ネットの場合はページを開くとそこに表示される広告収入が入るわけだから、それを使うライターの目的は、その金である、ということを開き直って吐露しているわけである。記事の内容のできはどうあれ、こいつも開かれれば勝ち、ってわけだ。「俺は何でも知っている。ここに来た無知なお前らに教えてやろう」なんて上から目線の傲慢さを見せつけて、本来の目的はそこに表示される微々たる広告収入なのだ。小者感漂う下衆である。
そしてその「いまさら聞けない」は不快感をまき散らしながら、何年間もそのまま放置されている。つまり「いまさら聞けない」とうたうコピーを、インターネットという、いつまでも残りやすいメディアに置くという愚かさが見える。
「いま聞いちゃいけないのかよ」「いつだったら聞いてよかったんだよ」学校教育は毎年殆ど繰り返しだが、それも「いまさら聞けない」のか?
たいてい「いつでも聞ける」はずだ。お前が「いまさら聞けない」と決めるな。そう断じる根拠を示してみろ。
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